日本のジプシーと言われる民族、サンカ。戸籍にも名を残さず、山地や河原を転々とし、ささやかな商取引で生計を立ててきた歴史から忘れ去られた人々。
日本の古部族『サンカ』の存在を知っていますか?
サンカ(山窩)の少女。
今回のアップは2017年10月4日(中秋の名月)です。
(その6よりつづき)さて、神武軍は憎きラスボスであるナガスネヒコの本拠地である孔舎衙坂を目指します。ナガスネヒコはどう立ち向かうのか!?
その前に、ナガスネヒコについてもう少し知っておく必要があると思います。神話の登場人物だけにちょっと感情移入しにくいですよね? 縄文人っていわれてもピンときませんしね(笑)これを現代風に解説させていただきましょう。
みなさんは、この人物をご存知ですよね。
そうです、『もののけ姫』のアシタカです。彼の本名は「アシタカヒコ」です。調べてみると下のような情報がありました。
本作の主人公。17歳。ヒイ様からは「アシタカヒコ」と呼ばれている。大和政権との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住む蝦夷(エミシ)一族の数少ない若者。無口だが正義感が強く潔く、王になるための教育を受けた一族の長となるべき少年であり、それにふさわしい気品をもつ。
(以下黒字は筆者)「大和政権」は古代大和を乗っ取った渡来人(弥生人)が確立した政治権力です。そして蝦夷(エミシ)は大和を追われた縄文人です。ちなみに「もののけ姫」の舞台設定は室町時代です。
村を襲おうとするタタリ神に矢を放ち、命を奪う事と引き換えに死の呪いをかけられる。それがきっかけとなり、村を追われることとなった。元々、弓の名手で高い身体能力の持ち主だったが、呪いを受けてからは右腕の呪いの痣によってアシタカ自身の殺意や憎悪に反応して彼の命を蝕むのと引き換えに超人的な膂力を得るようになる。
命を奪う事と引き換えに死の呪いをかけられられてしまうということに、命を奪わなかった縄文人が宿業を負うことになってしまった。それがアシタカの「呪い」として表現されているのでしょう。アシタカにも殺意の波動が科せられていることがわかります。
狩りで鍛え上げた、弓の扱いと高い身体能力を持つ。また、タタラ場の女性たちから興味を持たれたり、トキからは「いい男」と評されるなど端整な顔立ちをしている。宮崎監督は究極のイケメンとして作画に臨んだらしく、制作当時に「オレはいま一世一代の美形を描いてるんだ!!」という言葉を残していたそうである。一方で、松田洋治による声の収録して合わせてみる段階になると、「こんなに根暗だったんだなぁ」「いいのかな、こんなに根暗な主人公で」と苦笑混じりな感想を零している。
狩りで鍛え上げた、弓の扱いと高い身体能力を持っているという点はまさにナガスネヒコの特徴そのものです。宮崎監督は元祖・悲劇のヒーロー・ナガスネヒコをイケメン化してアシタカというキャラとしてよみがえらせたのでしょう。そして根暗な主人公は引力が働くのです。
以上でナガスネヒコがアシタカのモデルであったことがこれでご理解いただけたかと思います。そしてアシタカはリュウさんと共通項を多く持った主人公であると気づかれたと思います。
共通項をあげてみると・・・。
●蝦夷一族=縄文人=原日本人=日本の魂を一手に担うキャラ=リュウさん
●呪われている=殺意の波動
●身体能力が高い=格闘家
●無口でイケメンだが根暗=まんまリュウさん!(笑)
ここで特に注目すべき点が「呪われている」「殺意の波動」というキーワードです。いずれの力も人間離れした能力を発揮するが、当人らはその能力を忌まわしいと感じていて克服したいと思っています。
宮崎駿監督いわく、「アシタカの旅には、観客が共感できる動機が必要だった。即ち「理不尽にも傷付けられ、呪われたと自覚した少年が、その呪いを癒す鍵を探して旅をする」ことである。
更には、アシタカは自発的にではなく、村を追い出されてやむなく旅に出る。それは受難のヒーローというより、ヒーローであることを裏切り続けるアンチヒーローである。(中略)通常の主役であることを徹底的に裏返しにしていく。『「もののけ姫」はこうして生まれた。』45-46頁より。
リュウさんもアシタカも主人公でありながら、負の能力に苦悩し答えを求めて旅をする悲劇のヒーローです。帰る場所もなく、温かく迎えてくれる家族もいない。持っているのは卓越した身体能力だけであって、物質的なものは何も持たされていない。彼らには時代設定とは別に、物質文明と隔絶されたパーソナリティを背負わされているのです。
物質文明と隔絶されたキャラである彼らに共通するのが、崇高な目的意識を持っていること。つまり、個人的な問題を抱えながらも、非個人的な真理を追究しているという点にあるのです。
彼らは自己の問題解決の糸口を、世界に旅立つことで答えを見出そうと模索します。そこにエゴの介入する余地はなく妥協を許さない克己心がある。礼儀正しく謙虚な性格で自分の能力を他人にひけらかすことはないという人柄が彼らの生き様を表しています。
いずれの作品も物質文明と人間のエゴが彼らを取り巻いていきます。そして物語が生まれていくのです。
彼らのモデルであるナガスネヒコも同様に、神武という天津神が平和で豊かな古代大和の地を奪おうとやってきたことで物語がはじまったのです。
1万7000年*も続いてきた縄文の精神文明が作り上げた高度循環型社会に突如現れた天津神の襲来によって、文明は大きく変わることとなったわけです。その文明の分岐点が「神武東征」なのです。(*最新のデータによる)
その分岐点を現代で見定める試みを、拙HPにて実践させていただいております。そのために必要なことは、悲劇のヒーローたちが教えてくれています。
以上でナガスネヒコの人物像が明確になってきたと思われますがいかがでしょうか。
ただ、呪われていて無口でイケメンだが根暗なアンチヒーローも、最後はお姫さまに出逢えて「よかったね!」と思わせてくれるのが何よりの救いとなっています。
サンはもののけの姫。もののけ=荒ぶる神=国津神=縄文ですから、サンは縄文の姫なのです。アシタカは蝦夷一族の王子だったのですから、このふたりはお似合いのカップルなのです。
アシタカは17歳にしてサンに「会いに行くよ、ヤックルに乗って」とプロポーズします。サンも「アシタカは好きだ」と言います。宮崎監督はこの物語の結論を出さないまま幕を下ろしたと同時に、このふたりの人生の新たなるスタートを描かれたのです。(いいなぁ)
一方、ゼネストのリュウさんはやっと春麗さんと握手して殺意の波動を克服してベガ様を倒し、春麗さんをシャドルー基地から無事に守り抜いて脱出した場面でストーリーは終わっていますが、ちゃんと答えは描かれているのですよ。そのことについては改めて記させていただきます。
とにもかくにも、呪われた悲劇のヒーローは、魔物を倒しお姫様を救出してキスすると呪いが解けるというのが古から定番と決まっているのです。
これこそ陰と陽の統合を表現しているわけです。男が出会うべきは女。男は自分一人では解決できない問題に対する答えを求めて旅に出たのではありますが、その実はもう一人の自分である女を探す旅に出ていたということが言えます。そして陰と陽の統合を果たすのです。
さて、筆者はようやく25年前にストⅡの説明書から稲妻が脳天を直撃したかのごとく衝撃を受け取った理由を開示させていただくことが許されたようです。ついにリュウさんの正体をアラハバキます!!
リュウさんは偉大な主人公であるにもかかわらず、いまだ出自が謎であるという点にヒントがあります。これまで語られなかった日本人の陰の部分を、リュウさんは背負っていたのです。では解説してまいりますね。
ではそれぞれのキーワードを解説させていただきます。なお暗号は隠されたキーワードですので、プロフィールどおり好きか嫌いかは問題ではありません。
武道一般 ⇒ 武士道 ⇒ 武士(もののふ)⇒物部(もののふ)⇒ 物部(もののべ)⇒ニギハヤヒ
★物部氏の祖神は饒速日命(にぎはやひのみこと)。物部氏が大和朝廷に軍事として仕えたことから、物部をもののふと読み、やがて戦う者を武士(もののふ)と読むようになったのです。
水ようかん ⇒ 水 ⇒ 水の神様 ⇒ 瀬織津姫さま ⇒ 縄文の女神
★水という漢字が暗号です。詳細は暗号解読Ⅱその2を。縄文の女神についてはその4をご参照ください。
クモ ⇒ 蜘蛛 ⇒ 土蜘蛛 ⇒ まつろわぬ民 ⇒ 縄文人
★長髄彦は、長い足を持つ男性という意味が含まれています。縄文人は手足が長かったそうです。それゆえ大和朝廷に従わなかった土豪たち(まつろわぬ民)は土蜘蛛とか大蜘蛛と呼ばれました。
苗字 ⇒ 不明 ⇒ 戸籍がない ⇒ まつろわぬ民 ⇒ 縄文人
さすらいの旅 ⇒ サンカ ⇒まつろわぬ民 ⇒ 縄文人
★「さすらいの旅をしている苗字が不明の者」については、詳細が書かれた情報を下に貼らせていただきました。
日本のジプシーと言われる民族、サンカ。戸籍にも名を残さず、山地や河原を転々とし、ささやかな商取引で生計を立ててきた歴史から忘れ去られた人々。
日本の古部族『サンカ』の存在を知っていますか?
サンカ(山窩)の少女。
明治以降明らかにされた時点では、川筋伝いに村から村へと渡り歩き、主に蓑つくり、笊(ザル)つくりなど竹を主原料とする製品を作り、農家で穀物と交換する、といったことで生計を支える、関東以南から九州までをテリトリーとする漂泊集団
漢字では「山窩」などと書く、日本にかつて存在した集団です。
農耕せず、定住せず、政治権力に服従しない民
定住することなく仕事を求め村々を移動する。定住ではないため拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)を回遊し生活しており、人別帳や戸籍に登録されないことも珍しくなかった人々であった
定義としては、先祖代々、戸籍を持たず、山野を移動して定住せず、それでいて里人とのささやかな商取引は行っている集団
一般的な日本人とも交流があった民族と言われています。
彼らの特徴は、ウメガイというアメノムラクモノツルギと同型の双刃(もろば)の山刀をもち、テンジンという古代そのままの自在鉤を使用し、その他もろもろの厳しい掟(ヤエガキまたはハタムラという)に従って生活している等、古来の慣習や掟を今も頑固に守りつづけていることである。
その指し示す範囲は広く、回遊職能民であったり特殊な窃盗団など、時代や立場によって定義や趣旨も大きく変わり、語義を明確にすることは難しい。
「サンカ」とはあくまで彼ら自身の呼び方ではなく、外部の人間がつけた名前(集団名)です。
謎に満ちたサンカの人々の生活
山窩とは、日本の山間部を生活の基盤とし、夏場の川魚漁、冬場の竹細工を主たる生業としながら山野を渡り歩く漂泊民である。その生活実体は十分につかめてはいないが、生産技術や社会関係、信仰といった生活様式が平地民とやや異なり、平地の住民からは異端的に見られていた。
サンカの社会は、彼等独自のもので、アユタチと呼ばれる大親分(おおやぞう)を頂点に、クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)が、 各地のセブリを取り仕切り、その生活は、彼等が理想とする誇り高き社会を守るために、独自の掟(ハタムラ)によって厳しく規定されていたと言われています。
彼らは農家で新箕(あらみ)を売ったり修理をしたりして、その生活をたてている。従って部屋のある住居はもたず、村はずれの林の中や、川のほとりにセブリ(瀬降)という天幕小屋を設けて、近辺部落の仕事を一通りすますと、天幕をたたんで次の場所に移動するのである。
昭和25年、埼玉県南部で。
風呂桶をもたないサンカは、地面に穴を掘り、ビニールシートを敷いて水を汲み入れ、焼き石を投入、ぬるま湯にして入浴したという。
サンカが謎であるのは、サンカ自身が自らの存在を公にせず隠然と世を忍んできたことによる。
サンカは徹底的な秘密集団組織として生きてきた。外部の者にはけっして自分たちのことを話さず、特殊な隠語を用いて話し、他の仲間への連絡には、特別の符合で書かれたアブリ出しを地面に埋めるなどして行う。その結束は固く、独自の行政・裁判法をもち、一般の倭人とは異なる習慣、信仰、伝承を維持し、しっかりとした相互扶助システムをもって全体の生活を安定させている。
一般の家系図や由来書にあたるものを持たなかった。仮にあったとしても門外不出であり、あるいは口伝によったものと思われる。これによりサンカ研究が意図的故意に為されにくい状況が生み出された。
日本には太古、知られざる文明があり、その文明を断片的に受け継いだのが縄文?出雲族?の人達で、そして、その文明を目指して幾つかの民族が渡来し、縄文人と平和的 に融合したのがサンカを始めとした山の民のルーツではないか
サンカのルーツに関するいくつかの仮説
サンカのルーツを廻って1・古代難民説、2・中世難民説、3・近世難民説諸説がある。
仮説によると、江戸期の度重なる飢饉において兆散した農民たちが、川べりを移動しながら生活していたのが、近代において「サンカ」と呼称されるようになったと言われている。
発祥は江戸時代とする説。
動乱の続いた室町時代(南北朝、戦国時代)の遊芸民、職能集団を源とする中世難民説。起源を比較的古くまで求めることが可能な言葉である「三家」、「三界」、「坂の者」などを根拠とする。
江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に山間部に避難した人びとが多数を占めるであろうという考察。サンカに関する記述が、近世末になって、天保の大飢饉が最も苛酷であった中国地方で登場することから、沖浦和光が主張している。
少なくとも昭和20年頃までは存在していた
彼ら山に篭った群れの純粋な山窩(サンカ・サンガ)の生活にも、文明や道具の一部は取り入れられたが、生活様式だけは頑なに守って独自の生活圏を山岳地帯につくり、言わば祭らわぬ人々(統治されざる人々)として存在し、それが明治維新の少し後まで無人別集団として存在して居た
サンカは明治期には全国で約20万人、昭和に入っても終戦直後に約1万人ほどいたと推定されているが、実際にはサンカの人口が正確に調べられたことはなく、以上の数値は推計に過ぎない。
昭和20年代までは川原などでよく見かけたそうだ。
人々の生活が豊かになるに従って、姿を見かけなくなったようだ。
殆ど里人と話す事はなく、穫った川魚を交換する際にも、口など効かなかったらしく、交換する物として何が欲しい等と言うことさえ語らなかったらしいのだが、里人の方がその辺りは心得ていて、各家ごとで交換する物、米とか野菜とか、お金とか長年の習慣で、決めていたのだという。
出典サンカ文字
今、サンカの末裔たちはどこにいるのか
現在でも、サンカと呼ばれる人々の子孫は全国に存在がするが、その大部分が一般市民として生活しており、サンカに関する取材に応じることはない。
しかし機能不全にある日本で、自然と自由を最上のものとして生きた「サンカ」に注目すべきなのは、まさしく今である。
サンカ研究者によるいくつかの言葉
日本人の自然を愛する心のルーツをさがします。
自然をもっとも愛した人々はサンカです。
木の葉、木の枝、草の間で 生まれ、水と空気で育ち、
そして 大地と天空にかえっていきました。
それが喜びのすべてした。
それゆえ 山の者、谷の者、川の者、野の者とも呼ばれました。
女は美しく、男はたくましく。
それゆえ 自然からももっとも愛されました。
その喜びと悲しみの歴史を文字で表しました。
サンカの特徴は男は凛々しい顔をしていて眼光が鋭く、それでいて穏やかで物静かな感じであり、手先が器用で一途で律儀な人が多かったようです。独自の言葉を使い、やはり一般の人達とは雰囲気が違ったようです。
サンカ 関連書籍
河原や山中にセブリバを造り、一箇所に定住せず箕作りを生業とする漂泊の民「サンカ」。その末裔が今日も現存していた!!三角寛の『サンカ社会の研究』にも登場する、埼玉県の荒川支流で暮らしていた「松島兄妹」、静岡県の三島で穴居生活をしていた「最後の駿豆サンカ」他、豊富なインタビューから、次々と明らかになる「サンカ」の生活。時代を超えて人間の「生の本質」に迫る“目からウロコ”のフィールド報告。
一所不住、一畝不耕。山野河川で天幕暮し。竹細工や川魚漁を生業とし、’60年代に列島から姿を消した自由の民・サンカ。「定住・所有」の枠を軽々と超えた彼らは、原日本人の末裔なのか。中世から続く漂泊民なのか。従来の虚構を解体し、聖と賎、浄と穢から「日本文化」の基層を見据える沖浦民俗学の新たな成果。
箕作り、箕直しなどを生業とし、セブリと呼ばれる天幕生活を営み、移動暮らしを送ったサンカ。その生態を聞き取った元新聞記者、研究者のサンカ実録。三角寛作品の初めての文庫化。一級の事件小説。
かつて関東以西の地方に多くいた、一般社会の人々と隔絶して山野を漂泊いながら生活を送る山の民(サンカ)の姿を描いた映画。
脚本・監督は「序の舞」の中島貞夫、撮影は「ふるさと」の南文憲がそれぞれ担当。
ベルリン映画祭日本代表作品、優秀映画鑑賞会推薦。
(引用終了)
上の映画にも縄文キーワードが刻印されています。
瀬降り(せぶり)=瀬織津姫 背景に滝が写っています。太陽=太陽神=ニギハヤヒ=真のスメラミコト
アレンジコスチュームのリュウさんはワイルドバージョン(縄文人仕様)となっておりまして、背景も大自然にそびえる磐座(いわくら)のようです。縄文文明は磐座信仰でもありました。例のごとく彼には物質的・文明的なものは何一つ修飾されていません。
戦う縄文人ときたら、ナガスネヒコ。そしてその末裔はサンカと呼ばれたさすらう統治されざる民。この血を引く者こそ真の日本人であり、縄文DNAを色濃く受け継いだ真のスメラミコトの子孫なのであります。リュウさんはまさに、真の日本人の象徴的キャラといえるのです。
リュウさんはⅠでは赤い髪をして靴を履いていました。そして「最強の格闘家」となるべく世界に旅立ちました。
Ⅱのリュウさんは「真の格闘家」を目指して世界をさすらいます。優勝しても表彰台に上がることなく去ってしまいます。そして山籠もりして滝行にいそしんでいるのです。この設定はかたくなに守られ続け、道着にはだしで世界中をさすらう姿が固定されてしまいました。これを読み解いていくと、リュウさんは真の日本人であり続けなければならないキャラだったとわかります。
ケンは日本人であったのにもかかわらず、最初から髪を金髪に染めたアメリカ代表のキャラとなっています。アメリカ人の名字を与えられ大富豪の家柄の人物として、リュウさんと対照の際立つキャラへと変化していきました。
ケンは結婚して子供ができて、夫、父親になり、弟子をとって師匠になっていきます。社会的にはマスターズ財団の社長でもあります。けれどもリュウさんに付与された属性は「殺意の波動」を発動した姿だけです。
リュウさんは他のキャラと異質な設定を担わされている特別なキャラだからこそ、主人公であり続けられたのでしょう。そして日本人代表の彼は、世界と対峙してゆくのです。ベガという闇の支配者に。
さあ、このページでは「もののけ姫」のアシタカはナガスネヒコがモデルだったことが判明し、リュウさんの出自を解読してまいりました。では前ページ(その6)の「神武東征」のナガスネヒコはどう神武を迎え撃つのかを次ページで記してまいります。