ストリートファイターシリーズの数字は順番ではないようです。ⅣはSFⅡの一年後の設定ということになっています。ここからイメージがガラッと変わっていったようです。
Ⅳのムービーを見つけましたので貼っておきました。
上のムービーのネタバレ注意。
SFⅣはビジュアルがアメリカナイズされてしまって、イメージがずいぶん変わってしまいました。
キャラが増えていった分、ストーリーも複雑になっていったようですね。リュウさんはいつまで「殺意の波動」に苦しむのでしょう。その路線でいくならば、やっぱり豪鬼化する方向ですかね?
実はこの作品、ケンが本当の主役なのではないでしょうか。のっけからリュウさんが生死の狭間をさまよう、翳りあるストーリーの中で、ケンとイライザさんのシーンがひときわ輝きを放っていました。
下の動画(46分ごろから)をぜひご覧になってください。感動のシーンです。
ケンに対して、リュウさんは始終ズタボロのぞうきんのごとく扱いでしたね・・・。ただ、彼にしては珍しく饒舌で、セリフも「人の持つ力、それは生命(いのち)を生み出す力。生命こそ力の源であり、再び帰り着く場所」と言ってましたね。ケンとイライザさんがまさにそれをオーバーラップしている形でラストを飾ります。
このアニメは何気に「ケンの勝ち」ってことです。
そろそろリュウさんにも日の目を浴びせてあげて下さい。カプコン様。
★追記!SFⅣムービーセリフ検証と考察★
後半、リュウさんがあまりにも力説されておられたので、もしかしたら、非常に重要なことをお伝えされていたのではないかと思い、文字起こししてみました。
――リュウ対セスのクライマックスのシーンにて
リュウ
「強くありたい。そう思いながら今日まで来た。強いとはどういうことなのか、力とは何なのか。それすらわからないままにな。ただひとつ、おまえの言葉ではっきりとわかった。俺の求めている力は、決しておまえの言うようなものではないということだ。
ただ、人の持つ力、それは生命(いのち)を生み出す力。生命こそ力の源であり、再び帰り着く場所。それを傷つけ壊していく。そんな力は自らを否定していることと同じ。待っているのは滅びの道だ。だから俺は戦う、人を滅びに導くような力の魔性と。そして証明してみせる。魔の力に負けないことこそが強さと真の力であるということを!」
――リュウとケンの別れのシーンにて
ケン 「リュウ、おまえはあのとき、確かに殺意の波動を抑えてみせた。それなのになぜ?」
リュウ 「正直に言うとな、あのときは無我夢中だった。確実にものにしたという自信はまだない。俺にはまだ修行が必要ってことだ」
ケン 「まったく、めんどくさい奴だぜ。行ってこい。そして、おまえにしかたどり着けない場所を見てこい。必ずだ」
リュウ「ああ、俺も楽しみにしてる。そのときおまえが、どれだけの力を身につけているか。人の身体(からだ)に宿る力。生命の力。俺たちは進む道こそ違っても、行き着く先はきっと同じだ」
ケン 「ああ、いつか必ず、俺たちは出会う」
(文字起こし終了)
リュウさんって、とても篤い志を持っておられる方なんですね。感動しちゃいました。彼はセスとの戦いの中で、「生命(いのち)」について力説しておられました。
そしてケンと別れ際にも、「人の身体(からだ)に宿る力。生命の力。俺たちは進む道こそ違っても、行き着く先はきっと同じだ」とおっしゃっております。
こんなに大事なことをわかっておられるのに、なぜにいつまでも孤独の道を歩まれるのでしょう。ひとりで生命を生み出すことはできません。そんなこと、百もご承知でしょうに!!
このムービーの中核を成すセリフがリュウさんの「人の持つ力、それは生命を生み出す力。生命こそ力の源であり、再び帰り着く場所」ということなのです。
リュウさんは、生死をさまよった体験から、生命の根源についての気づきを得たのでしょう。
では、リュウさんのラストを飾った言葉「生命を生み出す力」と、「人の身体に宿る力」について検証してみましょう。
「生命を生み出す力」は男性原理であり、陽のはたらきであり、原因の世界。
「人の身体に宿る力」は女性原理であり、陰のはたらきであり、結果の世界。
すなわち、イザナギノ命・イザナミノ命の二柱の神による国生みの原理です。
注目すべきは、命(ミコト)とは生命エネルギーという意味がこめられていることです。
男性原理が原因、女性原理が結果。メビウスの輪の左回転が原因(潜象界)であり、右回転が結果(現象界)ということです。
さすがはリュウさんです。真の格闘家たる者、この原理を知らずして何とやらということなのでしょう。彼は戦うことを通して原因の世界を追究し続けているのです。
お釈迦様は、家族も地位も名誉も捨てて、生老病死の法則性を追究する旅に出ました。お釈迦様は、結果(=物質)ではなく、原因(=意識)の世界を追究していたために、みすぼらしい袈裟をまとっていたのです。
リュウさんの着古した道着はまさに求道者の象徴です。
彼がイザナギであるためには、イザナミとなる女性がいないと生命を生み出すことはできません。もうそろそろ孤独の道から方向転換させてあげてもよろしいのではないでしょうか?
カプコン様、こんなに真剣に求道なさっておられるリュウさんにつりあう女性はどなたですか?
春麗さんしかいないです。
どうぞリュウさんに「生命を生み出す力」を行使させてあげ、春麗さんに「人の身体に宿る力」を与えてあげてくださいませ。
SF界のイザナギはリュウさん、イザナミは春麗さん。ごく自然ですね^^
今後の展開に期待しましょう。
★★追記の追記! SFⅣムービーセリフ検証と考察★★
このムービーはケンが重要な役どころです。ケンのセリフにも考えさせられるキーワードがありました。ラストのシーンにて
ケン 「おまえにしかたどり着けない場所を見てこい」という部分です。
リュウさんにしかたどり着けない場所・・・。これは原因の世界を追究し続けておられるリュウさんの進化へ向かう場所ということが考えられます。それはおそらく、人類の進化への道でもあるはずなのです。
なぜなら、リュウさんはケンに「俺たちは進む道こそ違っても、行き着く先はきっと同じだ」とおっしゃているからです。さて、その場所とはどんなところなのでしょうね・・・。
想像もつかない場所なんでしょうか。それとも、意外なところなのでしょうか。リュウさんもケンもまだ見たことのない場所・・・その答えはいったいどこなのか・・・。
さて、SFⅢの小説三部作の第三部に取り掛かる際、その「場所」がインスピレーションとして降りてきました。
基本的に、拙サイトの小説はすべて直観ベースでありまして、言葉で表現したものにすぎません。
読者様の内側に答えはあるということをここに記させていただきます。 <(_ _)>
★★追記の追記の追記! SFⅣムービーセリフ検証と考察★★
SFⅢ 短編小説三部作を書いてしばらくしてからのことでした。
リュウさんの見出した「答え」を小説で表現させていただいたわけですが、ケンの「答え」にもきちんと注目しておかなければならないのでは・・・?との気づきがありました。
リア充の代名詞・ケンと、裸一貫の代名詞・リュウさんは対照的な存在として、次第にそのコントラストが強調されていきました。スト2ムービーあたりからそのような設定になっていったような印象があります。
SFⅢ小説・第四部に二人のその後を書いてみました。
リュウさんの「答え」とケンの「答え」の両方があってひとつなんだなあ・・・。としみじみ思うのでした。